赤備え毛鉤 (ビーズ毛鉤)

赤備え毛鉤 (ビーズ毛鉤)
武田家由来の赤備えが毛鉤の場合なら・・・
近頃の流行りのビーズヘッド毛鉤の由来まで歴史を遡る

蚊頭針 血丸

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蚊頭針 血丸

血孕

100年程前の永原屋茂八商店 卸部 商品一覧

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永原屋茂八商店 卸部 商品一覧

こちらに掲載される赤玉(赤色ビーズ)使用で有名な毛鉤パターン

四段朱
四段朱蚊頭針

通称「赤玉ポートワイン」

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赤玉ポートワイン

蚊頭針として朱玉をヘッドに持ってきたのが「赤玉ポートワイン」
四段朱蚊頭針ともなると胴に四つ玉仕立て
フライの世界でも見た事が有る様な気がする(笑)

日本式ニンフフライ

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三段朱 伏せ蓑 蚊頭針

三段朱 伏せ蓑 蚊頭針

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三段朱 伏せ蓑 蚊頭針
伏せ蓑
三段朱 伏せ蓑 蚊頭針

孔雀胴に茶毛(油毛)を伏せ蓑で巻く
・・・伏せ蓑と書きながら不覚にも羽根が立ってしまいました(笑)

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三段朱 伏せ蓑 蚊頭針

他にも二段金なり三段金

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豊かな毛鉤文化を愉しんだ先達

このパターンは全て100年程前の商品一覧から
今様の解釈や推測では無くありのまま、其の儘の当時の詳細な毛鉤の説明です

掲載させて頂いた資料は全て「鮎たわけ」様のブログ
「長良川と郡上竿の世界」よりご了解頂き掲載いたしました

毛鉤のご縁で鮎たわけ様・満月様・眩影様・F師匠様と
お近づきになれました事に心より御礼申し上げます

連綿と今に続く鮎毛鉤なり各地の伝承テンカラ毛鉤も
本来は遊漁を愉しむ京毛鉤の文化が根底を流れています
決して「正体不明」は有り得ません
よく言われる幻の日光毛鉤もその元は中村利吉氏の創造の賜物でしょう
たかが毛鉤、されど毛鉤、毛鉤は雄弁と思います

手前勝手な拙ブログにご訪問頂く皆様に感謝申し上げると共に
少しでも本質に近づける事ができますよう
今後とも皆さまのご指導、ご教授をお願い申し上げます

以下爺の戯言 ——————————————————-

蚊頭針「血丸」・・・蚊が血を飲み込んだ姿とされる
永原屋にとっても販売数は高く他製造元も同型を販売するほどの人気商品
ここに前出では有りますが、FF釣法でもキラーバグとされるパターン
色指定はホットオレンジでも指定サイズは同じ

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FF釣法版 血丸

ホットオレンジ・アントフライパターン

血丸は夕方に有効な毛鉤と聞いておりますがこのパターンは凄いです
多くの釣人が行き交う釣り圧が高い夏場の渇水期でも何処に隠れていたと思う程
単に他の方が使われないパターンだからかもしれませんが( ^ω^)・・・

眞田毛鉤(1950年代)

鮎たわけ様の所有する眞田毛鉤(1950年代)のご紹介
信州 登録商標 槌長 謹製

上田地域は北信・中信・東信・南信と大きく四分割される信州で
地勢的に北信・東信・中信の要とされる場所
宿場町としても、流通業等の商業でも栄えた上田城(眞田城)城下町
真田幸村はじめ、真田十勇士に家康公に対した真田丸も名高い
地味な信州の中でも新進気鋭に優れ
上田紬が有名で生糸貿易でも栄華を極めた土地柄

緡と言われるチモトを黒ナイロン糸で補強する独特な蚊頭針
(本来は漆で固めたもの、鮎毛鉤は其処に金箔を貼る)
古い形式を守る頑固さ故に其の儘残ったのかもしれない

六文銭(六連銭)を旗印

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六連銭

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武田家由来の眞田赤揃え・・・三途の川の渡し賃で有る六文銭

信濃国高井郡保科に発祥した土豪、保科家が同じ武田勢となるもその後
徳川方として会津藩主となり、後に再度、松平家として南信の高遠城主に成るのも戦国時代ならでは

以下爺の戯言 ————————————————

毛鉤の話で此の頃、毛鉤より甲冑が多いのも春の陽気で畑仕事が忙しく
手が震えて毛鉤が巻けず、かと言って山は雪で釣りにも行けないその悔しさの現れ

地元で有る長野市の用水組合「四ヶ郷用水」は眞田のお殿様から拝領し管理を任されている
この「四ヶ郷用水」が無ければ
長野市内で水田を賄える水は無い程に今でも生活に直結している

自身でも母方の祖先は眞田藩主に老中として仕え、
その伝来の日本刀は自分が初めて手にした刀
保科家の在所は目の前に広がり近所にも祖先を保科家に持つ家が有る
縁遠いとされる過去でも近場の話ともなればなるほどその遠い過去と直結している・・・

緡・・・釣糸

緡・・・釣糸
この緡(さし・いと)と言う漢字との出会いは
武田信玄公のトレードマークで有る「諏訪法性兜」の白毛の兜に見られる
飾り毛の「ヤク毛」から始まる

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「諏訪法性兜」・・・すわほっしょうのかぶと

織田信長公・豊臣秀吉公・徳川家康公も同じ・・・

徳川家康公自身の言葉に
「家康に過ぎたるものが二つあり、唐の頭に本多平八」が有る程、好まれた

唐の頭とは

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唐の頭

英式の兜・・・ワーテルローで使われた洋式の甲冑の頭

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唐の頭

珍重されたため鎖国時代にもわざわざ清国から取り寄せた程
(此処に使われる「ヤク毛」は勇猛な動物とされて珍重された)

鮎毛鉤で使われる「リュウ」はこれを様々に染色して使われると聞く
この説明が古くから鮎毛鉤の製造を行っていた
銀座 みす屋の店主「中村利吉氏」監修による「日本水産捕採誌」に残る

第一節 鉤
擬餌鉤は餌料を用いず餌に似たる物を造り以て魚を欺きて釣獲するの具なり。故に之を用ゆるを俗に「ダマシ釣」とも云う。淡水魚中には羽蟲を好み水上に跳り出て蟲を食う者あり。是等の魚を釣るに用ゆる擬蟲は種々の鳥の羽毛を以て作りたるものにして其大さ蚊の如くなるを蚊頭鉤又単に蚊鉤と云い稍や大にして蜂の如くなるを蜂頭と云う。其品種頗る多く殆ど五十種に及ぶ皆其名称を異にす。斯く品種の多き所以は或は期節に依り或は地方の慣用を異にすればなり。皆白馬の尾毛を附けて緡となし漆を以て其の結処を固め丸くなす。而して之に金箔を抹したるを金玉と云い朱を塗りたるを朱玉と曰う。

此処に出て来る「緡」は白馬の尾毛としているが
鮎毛鉤に残る「リュウ」=「ヤク毛」が殊に気になる
武家階級だけに認められた加賀の「鮎毛鉤」はもしかすると
「シケ糸」自体が「ヤク毛」であったかもしれない
手持ちの古い毛鉤材料にその「ヤク毛」の40㎝程の一束が残る
鮎毛鉤に使われる生の絹糸7本の「シケ糸」より強度は高く頭髪並みに細い
中空で透明なその質は「ポーラーベア」と同様でもっと細くしなやか・・・
同じく古い毛鉤材料の馬の尾毛の「白」「透明」「黒毛」と染色された「赤」「透明の赤」
・・・勿論、古い英国トラディショナ・フライにも使われている・・・

初期型の「真田毛鉤」の紹介記事
長良川と郡上竿の世界

此方で紹介された初期型の「真田毛鉤」に有る「黒龍」の名はその「緡」に黒のナイロン糸
これも古くは黒毛の馬の尾毛だからこそ「黒龍」= 黒毛の名馬かもしれない
・・・「緡」はチモトを補強し巻き止める糸、古くは釣糸・・・

歴史の遺物には何時でも現代風解釈が付き纏うがそこに「望み」まで入り込む(笑)

手持ちの「ヤク毛」と「馬の尾毛」

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「ヤク毛」と「馬の尾毛」

フライで「ヤク毛」はストリーマーのウィングにポーラーベアの代りに使われる
精製されて白色よりは透明感と煌めきが高く細かいウェーブでバルキー
馬の尾毛はストレートで張りも強くヤク毛より倍程も太い

剣羽根毛鉤の出生

剣羽根毛鉤の出生

日本独自とされる剣羽根毛鉤
(羽根自体の強さによる水面での跳躍と水中での毛鉤自体の振動)

当初は擦れた山女魚用毛鉤に効果的とされ
流行りも知るだけで4回程は有ったと思い出す
1960年代の釣雑誌にも効果的なテンカラ毛鉤と刺激的な言葉で紹介される
高麗雉の剣羽根が輸入され出し、山女魚は全滅するかもしれないとまで喧伝された

今更ではないけれど剣羽根毛鉤で使う本来の剣羽根は「日本雉の雄」
それもフライで言うバイオット側だけ・・・その特異な強さを生かす為
羽根の各部名称なら「外弁」

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羽根 各部名称

雄・雌の区別も無く、表・裏の色違いも無い高麗雉では無い(前出済み)

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日本雉剣羽根

高麗雉との差異

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日本雉と高麗雉 剣羽根裏表の差異

黄色丸の内が日本雉剣羽根で裏側が表と同じく暗色
高麗雉は雄雌共に裏側は色が明るい(段だら縞は高麗雉の雌)

この剣羽根を使う原点にハス毛鉤の「清姫」が有る
黒染めの剣羽根を使い胴は黒地に赤の帯巻きを2箇所

此方をご参照ください 眩影氏のブログ記事
鮎毛鉤修行その10:鮎毛鉤の原型・伝承ハエ毛鉤を巻く

旧来の毛鉤釣りで使用される毛鉤と職漁師が使う毛鉤は原点に「ハス毛鉤」が有る
「現代テンカラ」とされた1950~60年代にはハス毛鉤の原点が色濃く残る
その後に「テンカラ毛鉤」とされて釣雑誌に喧伝された物は
職漁師が使う毛鉤をお町の人が垣間見した物か推測・憶測で真似た物が見られる
(黒にも様々な黒が有り、茶にも様々な茶が有る事すら感じ取れない方々も多い)
蓑毛も本来の日本式毛鉤は伝承に見られる様に英式の巻き方
アイ側に羽根の裏側を出す巻き方は米国で行われ始めたドライフライの巻き方
明るい裏側を使う事で視認性とコックネックの性質で浮き易い利点を尊重した物
それでもキャッツキルパターンに見られる様に薄く長く巻く形式が本来
キャッツキルパターン初期なら裏表を合わせ放射状に巻きとめる
短くブラシの様に厚く巻く事で浮力を得るとする日本式フライとは意見を異にする
・・・浮いてさえいればどんな毛鉤でもフライでも釣れた時代は過去に確かに有った

剣羽根毛鉤の原点 「清姫」

安珍・清姫伝説の「清姫」しか思い浮かばない・・・

おどろおどろしい伝説・・・「驚ろ驚ろしい伝説」
・・・They thrusts famous in Gruesomeness legend

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安珍・清姫伝説

黒地に赤「清姫」のパターンはこの絵から?

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安珍・清姫伝説

「清姫」にはこの絵も残る・・・

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「清姫日高川に蛇躰と成るの図」

ハス毛鉤の色使いは浄瑠璃なり浮世絵から得られたものかもしれない
フライと同じ材料を使っても滲み出る毛鉤の色彩感覚は和柄と同じ
京毛鉤の影響を受けたはずの関西地区では質素な「テンカラ毛鉤」が珍重され
その端境では却って京毛鉤の色使いを残す毛鉤釣りの「毛鉤」が残るのも不思議な話

たかが毛鉤釣りの「毛鉤」でもその底には海外の知恵も加わる
果ては、英国「ウォータールー・バラックス」・・・ワーテルローの戦いまで関る

日本の毛鉤釣り文化

日本の毛鉤釣り文化
Japanese Kebari fishing culture

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葛飾北斎 千絵の海 蚊針流

自然発生的な毛鉤は釣針が発明された同時期から世界的に行われる
Spontaneous ”Kebari and Fly” are made globally
from the same time when fishhook was invented

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蚊頭釣り
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釣道具

”Kebari and Fly”文化は世界共通
“Kebari and Fly” culture is worldwide

原型は共通文化として広まり対象魚と各地の自然により独自進化する
The prototype spreads as a common culture and evolves
independently by target fish and local nature

日本は江戸時代の鎖国政策の200年間により”Kebari and Fly” 文化が独自進化する
(鎖国政策以前にポルトガル・オランダ等から”Fly”文化が伝わっていた)

”Kebari=毛鉤” の原型は
京都で蚊針(菜種針)からハス毛鉤へと進化する

巻き付ける蓑毛の方法と孔雀胴の使用(蠅頭・蜂頭・蝶針等)に見られる様に
ハス毛鉤は過去に行われたフライとの融合を今に伝える
タイムカプセルの様な貴重な存在感を示している

一般的にこれらの京毛鉤は優雅に釣りを愉しむ遊びとして全国に影響を与える
その最たる例がハス毛鉤から進化した鮎毛鉤であり、芸術品の域となる
ハス毛鉤から進化した鮎毛鉤の存在は
日本的概念と世界的概念における対象魚の存在「鮎=鮭」
・・・は釣人の概念からする共通対象
日本では遊漁対象魚として認められなかった「鮭」と
特権階級にのみ認められていた「鮎」
それは
「鮎毛鉤」=「フェザーウィング・フルドレスサーモンフライ」と背景を含めて同意
どちらも一般庶民には近寄ることすら出来ない特権階級だけの魚

遊漁の毛鉤と対極にある職漁の毛鉤
職漁の毛鉤釣り自体、餌針に反応が遅い盛期の渓流魚に対し時期的に行われていたもの
これは効率化と対象魚の生態に合わせ実釣に耐える様に丈夫に巻かれている

古い形態の岩魚用毛鉤は中部山岳地帯の一枚の軍鶏の頸毛を荒巻にした
パーマーハックルによるグリフィス・ナット形式に見られる
魚の擦れ加減で針先を覆う蓑毛を刈り込めば古い形式の「秋山郷毛鉤」ともなる
この秋山郷毛鉤の原型も「マタギ集団」により秋山郷にもたらされたもの?
・・・とされてはいても、ならば「マタギ衆」の毛鉤を見てみたい
日本三大秘境の一つである秋山郷という風土的背景により過去が色濃く今も残る

本来の職漁の岩魚域は薮沢でも無い限り豊富な水量と大岩に囲まれ
所々の連瀑地帯に遮られて杣道すら無いその限られた地域に入れる者だけの特異な場所
毛鉤が見える事より如何に魚を見つけるかを大事とする先達も多い
・・・狩猟的な発想と対象地域のため数々の伝説も残る
仕掛も2間程度の竿に馬尾毛の撚糸を竿と同じ長さで仕上げて
取り込み易さとピンポイントを狙う釣り方

方や職漁の山女魚域は同じく水量豊富でも川幅は広く大岩が水底に点在する場所
岩魚域に比べれば人里も近く同業者も多く魚に対する釣り圧も強い
神経質な山女魚の生態に合わせて離れて釣るロングラインでの線と面の流し釣り
原型としての山女魚用毛鉤は岩魚用に比べ胴色が明るい色調
そこに椋鳥等の柔らかい蓑毛を中央部分に疎らに巻きつける形式が多い

先達が残した言葉
「蓑毛の張りは流れに合わす」
「蓑毛で誘って、胴で喰わす」は意味深い・・・

特異的な剣羽根毛鉤も本来は擦れた山女魚に対する隠し毛鉤的な存在
その剣羽根使用の原型はハス毛鉤の「清姫」から派生した物
・・・「清姫」は鮎毛鉤の良く釣れる代表的銘柄「青ライオン」と同じ位置付け

山女魚用毛鉤として現在は広く知られる「逆さ毛鉤」
これは岐阜県益田川流域でのみ使われていた本流用の特殊な毛鉤
フライで言えばスタンダードハックルに対するパラシュートハックルと同じ
個人的な発想転換が効果的であった為にその後は広く周知される存在となる

それらの毛鉤を使った職漁師自身でも
渓魚を生魚として温泉地に届ける近代の職漁師以前なら
単純に餌代わりでの毛鉤で釣果は確保できたかもしれない
「流れる水より岩魚の方が多い」とか「岩魚は川の蛆」とかはよく聞く昔話
その場所に行き着くのがその時代にはそれこそ狩猟的な山行を伴う特異な術
魚を持ち帰るにしても「ウラジロ」なり「ホト」で白焼きなり焼き枯らしの時代
その後
山間各地の湯治場が温泉観光地となるが冷蔵設備が無い時代にお客が求める生魚を
届ける役割を背負った近代の職漁師は時代の狭間が生んだ仇花の様な存在
その収入は山間僻地での年間収入額を軽く超える程で魚屋と同じく当日現金決済
となれば山割り・川割りでも同じ地区なら競争相手も増えるし釣り圧も高まる
同一集団としての狩猟的な形態から
個人的技量による釣果確保となれば仕掛も個人で変化するのが普通と思う
これを解き明かす術は無いがその残渣が朽ち果てていても各地の倉に今も眠る
面白いのが対象魚が岩魚となれば
秋山郷でも妙高でも安曇野や大町でも当時の仕掛けは余り変わりが無い
各地の釣人による工夫が田舎の伝達方法で広まっていた事実も示すし
同じ竹竿に馬の尻尾で撚った糸は類似な渓流域環境に合わせた物でも有る
(類似する渓流環境で全く同じ仕掛の伊国バルセジアーナの釣りも興味深い)
となれば個人の技量勝負なのかもしれないがそれ以上に毛鉤を道具として位置付けて
釣果を得るために各地で工夫されたのが「ハス毛鉤」を元にした毛鉤の存在
(遊漁として切磋琢磨され実釣に裏付けされた「ハス毛鉤」に祖を持つ毛鉤の存在)
ハス毛鉤自体に色濃く残る「フライ」の底流に鮎毛鉤の独自進化も加わり
胴の絹糸や綿糸だけでは無く、孔雀胴・ゼンマイ胴・山繭胴に蓑毛の各種も増えて百花繚乱
(職漁師時代は山間僻地の観光地化への大変革をまともに受けた時代でも有る)
古式毛鉤の流れにフライと融合されたハス毛鉤の工夫が加わり
銀座のみす屋針店の中村利吉氏による毛鉤とフライの融合と日本に合わせた改良
江戸時代の200年に渡る熟成期間を経て明治大正時代に再度フライと邂逅を果たした毛鉤
古来から使われた毛鉤もテンカラ毛鉤となる前に大変革を遂げていたそんな時代

その後の渓流釣りブーム到来と車道整備による源流域への交通の改善
目新しさを求めた釣雑誌の毛鉤釣り紹介に続く「テンカラ毛鉤釣り」への変化
同時期に進んだインフラ整備と冷蔵設備に渓魚の養殖技術確立で職漁師は存在価値を失う

共通点で過去と現在の一番差異が有るのは毛鉤でも魚でも無く
各河川の水量減少と砂の堆積による水深の減少
これは過去の写真が示す様に源流域も渓流域も同じ状態
野生動物の保護はその生存環境を回復保護する方法が一番な事は周知の事実
渓流魚も同じく本来は野生動物の一員であるけれどそれを忘れているのが現状

その緩く浅い流れに合わせたのが現在の「テンカラ毛鉤」
改革されて新しい毛鉤釣りとされたテンカラ釣りで使われる「テンカラ毛鉤」は
明治・大正時代に百花繚乱期を迎えた古式毛鉤時代を忘れ、物の無い戦後に生まれた産物
本来は毛鉤釣りでありながら道具である「毛鉤」自体に拘らない
不思議な釣りが今の「テンカラ釣り」
日本古来の毛鉤釣り文化の流れからも異質な存在で有る現在の「テンカラ毛鉤」
先達が積み上げてきた英知と経験の結果でもある古来からの毛鉤文化とは違い過ぎる
優雅に釣りを愉しむ京毛鉤の伝統が日本各地の在来の毛鉤の底流に潜んでいる

簡素・質素・簡便・粗末とされた「テンカラ毛鉤」は戦後の復興期に喧伝された
釣雑誌による釣果至上主義と幻想に作りだされた釣り業界お手製の伝説かもしれない