日本の毛鉤釣り文化
Japanese Kebari fishing culture
葛飾北斎 千絵の海 蚊針流
自然発生的な毛鉤は釣針が発明された同時期から世界的に行われる
Spontaneous ”Kebari and Fly” are made globally
from the same time when fishhook was invented
蚊頭釣り
釣道具
”Kebari and Fly”文化は世界共通
“Kebari and Fly” culture is worldwide
原型は共通文化として広まり対象魚と各地の自然により独自進化する
The prototype spreads as a common culture and evolves
independently by target fish and local nature
日本は江戸時代の鎖国政策の200年間により”Kebari and Fly” 文化が独自進化する
(鎖国政策以前にポルトガル・オランダ等から”Fly”文化が伝わっていた)
”Kebari=毛鉤” の原型は
京都で蚊針(菜種針)からハス毛鉤へと進化する
巻き付ける蓑毛の方法と孔雀胴の使用(蠅頭・蜂頭・蝶針等)に見られる様に
ハス毛鉤は過去に行われたフライとの融合を今に伝える
タイムカプセルの様な貴重な存在感を示している
一般的にこれらの京毛鉤は優雅に釣りを愉しむ遊びとして全国に影響を与える
その最たる例がハス毛鉤から進化した鮎毛鉤であり、芸術品の域となる
ハス毛鉤から進化した鮎毛鉤の存在は
日本的概念と世界的概念における対象魚の存在「鮎=鮭」
・・・は釣人の概念からする共通対象
日本では遊漁対象魚として認められなかった「鮭」と
特権階級にのみ認められていた「鮎」
それは
「鮎毛鉤」=「フェザーウィング・フルドレスサーモンフライ」と背景を含めて同意
どちらも一般庶民には近寄ることすら出来ない特権階級だけの魚
遊漁の毛鉤と対極にある職漁の毛鉤
職漁の毛鉤釣り自体、餌針に反応が遅い盛期の渓流魚に対し時期的に行われていたもの
これは効率化と対象魚の生態に合わせ実釣に耐える様に丈夫に巻かれている
古い形態の岩魚用毛鉤は中部山岳地帯の一枚の軍鶏の頸毛を荒巻にした
パーマーハックルによるグリフィス・ナット形式に見られる
魚の擦れ加減で針先を覆う蓑毛を刈り込めば古い形式の「秋山郷毛鉤」ともなる
この秋山郷毛鉤の原型も「マタギ集団」により秋山郷にもたらされたもの?
・・・とされてはいても、ならば「マタギ衆」の毛鉤を見てみたい
日本三大秘境の一つである秋山郷という風土的背景により過去が色濃く今も残る
本来の職漁の岩魚域は薮沢でも無い限り豊富な水量と大岩に囲まれ
所々の連瀑地帯に遮られて杣道すら無いその限られた地域に入れる者だけの特異な場所
毛鉤が見える事より如何に魚を見つけるかを大事とする先達も多い
・・・狩猟的な発想と対象地域のため数々の伝説も残る
仕掛も2間程度の竿に馬尾毛の撚糸を竿と同じ長さで仕上げて
取り込み易さとピンポイントを狙う釣り方
方や職漁の山女魚域は同じく水量豊富でも川幅は広く大岩が水底に点在する場所
岩魚域に比べれば人里も近く同業者も多く魚に対する釣り圧も強い
神経質な山女魚の生態に合わせて離れて釣るロングラインでの線と面の流し釣り
原型としての山女魚用毛鉤は岩魚用に比べ胴色が明るい色調
そこに椋鳥等の柔らかい蓑毛を中央部分に疎らに巻きつける形式が多い
先達が残した言葉
「蓑毛の張りは流れに合わす」
「蓑毛で誘って、胴で喰わす」は意味深い・・・
特異的な剣羽根毛鉤も本来は擦れた山女魚に対する隠し毛鉤的な存在
その剣羽根使用の原型はハス毛鉤の「清姫」から派生した物
・・・「清姫」は鮎毛鉤の良く釣れる代表的銘柄「青ライオン」と同じ位置付け
山女魚用毛鉤として現在は広く知られる「逆さ毛鉤」
これは岐阜県益田川流域でのみ使われていた本流用の特殊な毛鉤
フライで言えばスタンダードハックルに対するパラシュートハックルと同じ
個人的な発想転換が効果的であった為にその後は広く周知される存在となる
それらの毛鉤を使った職漁師自身でも
渓魚を生魚として温泉地に届ける近代の職漁師以前なら
単純に餌代わりでの毛鉤で釣果は確保できたかもしれない
「流れる水より岩魚の方が多い」とか「岩魚は川の蛆」とかはよく聞く昔話
その場所に行き着くのがその時代にはそれこそ狩猟的な山行を伴う特異な術
魚を持ち帰るにしても「ウラジロ」なり「ホト」で白焼きなり焼き枯らしの時代
その後
山間各地の湯治場が温泉観光地となるが冷蔵設備が無い時代にお客が求める生魚を
届ける役割を背負った近代の職漁師は時代の狭間が生んだ仇花の様な存在
その収入は山間僻地での年間収入額を軽く超える程で魚屋と同じく当日現金決済
となれば山割り・川割りでも同じ地区なら競争相手も増えるし釣り圧も高まる
同一集団としての狩猟的な形態から
個人的技量による釣果確保となれば仕掛も個人で変化するのが普通と思う
これを解き明かす術は無いがその残渣が朽ち果てていても各地の倉に今も眠る
面白いのが対象魚が岩魚となれば
秋山郷でも妙高でも安曇野や大町でも当時の仕掛けは余り変わりが無い
各地の釣人による工夫が田舎の伝達方法で広まっていた事実も示すし
同じ竹竿に馬の尻尾で撚った糸は類似な渓流域環境に合わせた物でも有る
(類似する渓流環境で全く同じ仕掛の伊国バルセジアーナの釣りも興味深い)
となれば個人の技量勝負なのかもしれないがそれ以上に毛鉤を道具として位置付けて
釣果を得るために各地で工夫されたのが「ハス毛鉤」を元にした毛鉤の存在
(遊漁として切磋琢磨され実釣に裏付けされた「ハス毛鉤」に祖を持つ毛鉤の存在)
ハス毛鉤自体に色濃く残る「フライ」の底流に鮎毛鉤の独自進化も加わり
胴の絹糸や綿糸だけでは無く、孔雀胴・ゼンマイ胴・山繭胴に蓑毛の各種も増えて百花繚乱
(職漁師時代は山間僻地の観光地化への大変革をまともに受けた時代でも有る)
古式毛鉤の流れにフライと融合されたハス毛鉤の工夫が加わり
銀座のみす屋針店の中村利吉氏による毛鉤とフライの融合と日本に合わせた改良
江戸時代の200年に渡る熟成期間を経て明治大正時代に再度フライと邂逅を果たした毛鉤
古来から使われた毛鉤もテンカラ毛鉤となる前に大変革を遂げていたそんな時代
その後の渓流釣りブーム到来と車道整備による源流域への交通の改善
目新しさを求めた釣雑誌の毛鉤釣り紹介に続く「テンカラ毛鉤釣り」への変化
同時期に進んだインフラ整備と冷蔵設備に渓魚の養殖技術確立で職漁師は存在価値を失う
共通点で過去と現在の一番差異が有るのは毛鉤でも魚でも無く
各河川の水量減少と砂の堆積による水深の減少
これは過去の写真が示す様に源流域も渓流域も同じ状態
野生動物の保護はその生存環境を回復保護する方法が一番な事は周知の事実
渓流魚も同じく本来は野生動物の一員であるけれどそれを忘れているのが現状
その緩く浅い流れに合わせたのが現在の「テンカラ毛鉤」
改革されて新しい毛鉤釣りとされたテンカラ釣りで使われる「テンカラ毛鉤」は
明治・大正時代に百花繚乱期を迎えた古式毛鉤時代を忘れ、物の無い戦後に生まれた産物
本来は毛鉤釣りでありながら道具である「毛鉤」自体に拘らない
不思議な釣りが今の「テンカラ釣り」
日本古来の毛鉤釣り文化の流れからも異質な存在で有る現在の「テンカラ毛鉤」
先達が積み上げてきた英知と経験の結果でもある古来からの毛鉤文化とは違い過ぎる
優雅に釣りを愉しむ京毛鉤の伝統が日本各地の在来の毛鉤の底流に潜んでいる
簡素・質素・簡便・粗末とされた「テンカラ毛鉤」は戦後の復興期に喧伝された
釣雑誌による釣果至上主義と幻想に作りだされた釣り業界お手製の伝説かもしれない