眞田毛鉤(1950年代)

鮎たわけ様の所有する眞田毛鉤(1950年代)のご紹介
信州 登録商標 槌長 謹製

上田地域は北信・中信・東信・南信と大きく四分割される信州で
地勢的に北信・東信・中信の要とされる場所
宿場町としても、流通業等の商業でも栄えた上田城(眞田城)城下町
真田幸村はじめ、真田十勇士に家康公に対した真田丸も名高い
地味な信州の中でも新進気鋭に優れ
上田紬が有名で生糸貿易でも栄華を極めた土地柄

緡と言われるチモトを黒ナイロン糸で補強する独特な蚊頭針
(本来は漆で固めたもの、鮎毛鉤は其処に金箔を貼る)
古い形式を守る頑固さ故に其の儘残ったのかもしれない

六文銭(六連銭)を旗印

rokumonki
六連銭

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武田家由来の眞田赤揃え・・・三途の川の渡し賃で有る六文銭

信濃国高井郡保科に発祥した土豪、保科家が同じ武田勢となるもその後
徳川方として会津藩主となり、後に再度、松平家として南信の高遠城主に成るのも戦国時代ならでは

以下爺の戯言 ————————————————

毛鉤の話で此の頃、毛鉤より甲冑が多いのも春の陽気で畑仕事が忙しく
手が震えて毛鉤が巻けず、かと言って山は雪で釣りにも行けないその悔しさの現れ

地元で有る長野市の用水組合「四ヶ郷用水」は眞田のお殿様から拝領し管理を任されている
この「四ヶ郷用水」が無ければ
長野市内で水田を賄える水は無い程に今でも生活に直結している

自身でも母方の祖先は眞田藩主に老中として仕え、
その伝来の日本刀は自分が初めて手にした刀
保科家の在所は目の前に広がり近所にも祖先を保科家に持つ家が有る
縁遠いとされる過去でも近場の話ともなればなるほどその遠い過去と直結している・・・

眞田毛鉤(1950年代)” への6件のフィードバック

  1. 佐久の望月に一度は行かなければならないとの思いで30年ほど前に一度行ったことがあります。車を運転しながら段々と近づいてくる彼の地に胸が高鳴っていた気がします、私にとっては懐かしいような何故か辛いような不思議な空間時間でした。六郎さんの懐の次元の中へ入って行ってたんでしょうか、、、笑

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    1. 望月六郎兵衛幸忠様でございましたか(笑)
      不思議なもので身体が自然に和むと言いますか、初めてでも強烈な概知感に囚われる事が有ります。遥か昔のことでも連綿と続いているからこそ今が有るとも思います。
      こうして望月様とお話が出来るのもご縁が有っての事と存じますので今後ともよろしくお願いいたします。

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  2. コメントを書き込むのが遅くなりまして申し訳ございません。
    動画UPありがとうございました。
    御在住のあたりには真田の関係者や遠い子孫の方も大勢いるのでしょうね。
    そんな地域中では、毛針ごときであろうが真田の名前を冠するのには、それなりの理由があったからだと考えるのは思い過ぎでしょうか(笑)

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    1. コメントありがとうございます
      鮎たわけ様と縁が有ったのもその「毛鉤」です
      たかが毛鉤、されど毛鉤です。毛鉤は殊の外、雄弁です
      鮎たわけ様とはご縁が真田紐の様・・・かもしれません(笑)

      今後ともよろしくお願いいたします

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  3. 糸魚川・白馬大町・松本・塩尻は塩の道で繋がれておりますが
    その道筋は海の民の道でも有ります・・・文明の光の通り道
    さながら”鮎たわけ様”は日本の毛鉤文化の光かもしれません

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