Tenkara-Streamers ?

Dear Mr.Adam Trahan
We’ll try to find out more details
・・・after that
I’m sorry I took time
I scratched my left hand fingertip and sewed 9 stitches
I was able to make the time to study it lol

Tenkara-Streamers ?
・・・テンカラ・ストリーマー?

テンカラ奥義(毛鉤釣りの世界)
・・・山本素石・編著 1987年
(1987年は、日本のFF釣法流行の最盛期)

01
テンカラ奥義 1987年

Soseki Yamamoto book・・・山本素石・編著
“The World of Fly Fishing; Tenkara Secrets”

Tenkara-Streamers

WS000000
Tenkara-Streamers?

・・・FBよりお借りした画像

Tenkara-Streamers

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Tenkara-Streamers

Hook サーモンフック#8(シングルローウォーター)
・・・ポイントとバーブ形状から見れば
その当時、一般的だったマスタッドよりは
パートリッジにも見えるが
一般的なコードMよりは細いかもしれない
アキスコのサモンフライ用なら同様の細軸で
ポイントとバーブの形状が同じ

Body 硬い巻き上げからモヘヤ・毛糸よりは絹糸の白
・・・赤かオレンジ(朱)のリブ巻き

Wing ブラウンマラード
・・・コガモ(ティールダック)よりは滲んだ班から
古くからの釣本にも使用されているブラウンマラード

Head 他の毛鉤から見てもその当時の漆仕上
・・・カシュー塗料が順当

Eyes 塗装仕上げ、ドール・アイではなさそうです
・・・Thunder Creek Streamers等と同じ仕上

その他 ヘッド下部分がアイと同じ空色で塗分けられている点

補記 ブラウンマラードの件について
1933年 「川釣の研究」  著者 魚住清適

 


・・・鮎たわけ様より画像をお借りしました

以下爺の戯言 ——————————————–

本題の「テンカラ奥義」(毛鉤釣りの世界)に記載される
「鈴木魚心」氏の毛鉤は毛鉤とフライの融合型

dscf6621
「鈴木魚心」氏の初期型毛鉤

堀江渓愚氏ならラインはFF釣法用ライン&リーダー
使う毛鉤はFF釣法用フライ提唱者

自分らの食い扶持稼ぎで作られた
テンカラとかFF釣法とかの垣根を越えて
年代表を作れば一目で理解できる話

日本の毛鉤釣り文化は以前から申し述べている様に
単独では無く江戸時代以前からの交易により
ダイナミックに世界とつながっていたことは
史実として今に残っている事
江戸時代以前から釣針に加え、美しい羽根類の輸入が有り
日本文化の熟成期間ともされる鎖国政策中の江戸時代にも
ワーテルローでも使われた西洋甲冑を優れた物として尊び
歴代の盟主により輸入されていました
飾り毛は勇猛果敢と信じられ輸入されたヤクの毛

・・・南蛮胴具足
鉄砲戦主体となり個々に傾斜角が付けられた
防弾性能に優れる、西洋甲冑が好まれた

 

・・・Battle of Waterloo

山形・天童藩織田家伝来南蛮胴具足

南蛮胴具足(岐阜市歴史博物館蔵)-316x450
山形・天童藩織田家伝来南蛮胴具足

鎖国時代であっても南蛮具足の様にその抜け道として
中国を経由させ、西洋文化を取り入れていた実績も有ります
その後の明治時代にはFF釣法なりルアーを取り入れて
日本の風土に合わせた釣り方と、適する毛鉤の模索があり
・・・銀座みすや 中村利吉氏の功績
その結果として独自解釈ではない世界に準じた品となり
輸出品目にもそれは一大産業として、項目を飾ります
今回の山本素石氏の俗にいえばテンカラ・ストリーマーは
その時に初めてストリーマーが表現された奇抜な物でなく
それ以前からある、各地の毛鉤にも活用されています

 


テンカラ自体も戦後の復興期から高度経済成長期に
都会人の手頃な娯楽として登場したもので
自ずと日本の豊かな毛鉤釣り文化とは土台の違う
何もない混乱期にこそ生まれた釣り方だと思われます

釣雑誌で宣う「秘伝・奥義の難しい釣り」とか
酷い話になれば山間僻地の蛋白源補給とか
頻繁に使われる、一時だけ現れた職漁師とか・・・

辿り着くのが大変な源流域の岩魚ともなれば
猫と猫じゃらしで遊ぶが如くの釣りを
如何に祭り上げるかの類の話でしょう

テンカラの語源すら
「テンテン」古代京言葉(蝶を含む羽虫類の意)
・・・羽虫類を模した毛鉤釣りかもしれない
鮎毛鉤の「ドブ釣り」に対して、瀬釣りに使われた
引掛け釣りと蚊頭釣りを含めた「テンカラ」かもしれない
庄内藩の「テンガラ」に加賀藩の「テンカラ」から
山本素石氏自身が書かれる木曽の「テンカラ」
中仙道は加賀藩の参勤交代に使われた道
木曽各地に今も残る加賀藩が寄進した建造物
開田は廃藩置県の際に加賀藩武士たちの移住先
古の文化や言葉は辺境の地に残る・・・
毛鉤釣りだからこそ毛鉤にその語源を求めて当然です
山本素石氏が木曽開田で初めて聞いたとされる「テンカラ」
加賀藩の影響下にあった地では
古くから毛鉤釣りを「テンカラ」と呼称しています

廃藩置県後の府県併合
如何に様々な行政区域が生まれたかの混乱具合は
飛騨地区も信濃国に編入された時期まで有りました
・・・これは釣人なら判る話です(笑)

参考までに
針問屋 みすやの資料misuya-hari

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Tenkara-Streamers ?” への2件のフィードバック

  1. 明治以前の日本毛鉤の姿。
    ・・・あまりにも資料が少なく謎の多い世界。
    少なくとも、従来思われていたような小型毛鉤だけでなく、明らかに小魚や大型水生昆虫を模した大きな毛鉤があったという事実だけでも、既成概念に一石を投じたのかもしれません。
    しかも、それも商売として広く売られていた毛鉤であったこと。
    それが、日本独自で進化したのか西洋からの影響を受けたものであったのか。
    想像は膨らみます。

    いいね

  2. 鮎たわけ様 コメントありがとうございます。
    大雑把に纏めると先ずは京毛鉤が有り全国に行商され、金玉製造方法の革新を加賀藩が行い今の鮎毛鉤の基を作り、釣針製造では庄内藩が焼き入れ技術の革新で他を抑え、その後それらの技術を伝えられた播州が大量生産して今日に続くとなると、一番先の京毛鉤の数多い種類は何処から出てきたのかロマンあふれる話です。縁遠いと思われる庄内藩と播州は北前船で酒田本間家と播州奈良屋が仲介役となり商売だけでなく、人的交流を深めています。釣具・釣針他、菜種針製造の京都の針問屋「みすや」と同じ屋号で明治初期から近代釣法の基を築いた針問屋の銀座「みすや」の関係はとか、みすや本家は「美寿屋」「翠簾屋」「三栖屋」なのかと、取り留めも無く広がってゆきます。どちらの話も江戸時代以前から初期にかけての話ですからその後、各地に伝わる毛鉤は京毛鉤を基に、各人各様の釣り方と風土に合わせた個人の切磋琢磨の塊かと思います。又、明治初期の輸出用フライを基にした毛鉤も各地で作られたでしょうし、秋山郷毛鉤の様に当初の蓑毛の向きは英式であったものがFF釣法の流行を受けて米ドライフライ式に成ったりと地域の毛鉤でも変化したと思います。なにせ「薬九層倍、針八層倍」とされるほど軽くて単価と利益率が高い行商には最適の商材ですし、釣具ともなればそれ以上ですから流行りは、一気に各地へ広がったのではと思っています・・・  取り留めのない長文失礼いたしました。

    いいね

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