巻針式の「乾毛鉤」なら理解も得られやすいのですけど・・・
「和毛鉤にはドライフライの様に水面に浮かぶ毛鉤は無い」が定説で、蓑毛二段巻きの「盛岡毛鉤」(クル巻き)が日本のドライフライではないかとされてもいますが・・・
瀬釣りの流し毛鉤式ですから水流で押し上げられて水面にでは、毛鉤だけで浮かぶドライフライとしては捉えにくいし無理がある
巻針式で軽量な鮎掛け針を使った「乾毛鉤」に辿り着いたのですが・・・
もう一つの「乾毛鉤」が意外にも身近に潜んでいました・・・前出済ですけど(笑)
毛鉤を手持ちで巻くのが普通の時代の話・・・(あたしも最初は教えられた通り、針素を巻き込んだ手巻き毛鉤が最初)
周りが薄暗くなった夏の夕暮れ、確りと浮いて対岸からも良く見えました・・・釣れた魚の大きさまで(笑)
職漁師をテンカラの租としたがる「テンカラ」の方々には格好の毛鉤です
使った素材は・・・
プラスチックストローを細かくしたものでは有りません・・・トンビの羽根軸です
雉の尾羽も良いけれど柔らかすぎる、山鳥は水を吸うから使えない、面倒だけれどトンビを使う・・・注釈付き(笑)
形はまるでエルクヘヤーカディス・・・
浮かぶし見えるし・・・(笑)
フライにも「ハンクオーフライ」と言う似たパターンが有ると・・・
職漁師でもない夕餉の、若しくは酒の肴にする岩魚を近所の川で釣る為に使っていた爺様の毛鉤
ブリーチした白いエルクヘヤーカディスを渡して以後・・・は前にも書きました
忘れられた毛鉤釣りの毛鉤はまだまだ埋もれていると思います、大井川最上流部で使われていた土竜の尾を針に縛り付けた毛鉤?もアメリカのTENKARA愛好家の方から調べてくれと言われて見つけられました・・・真摯な探求心には驚かされましたしそれに対して「幻」とか「マタギ」で済ますのは失礼な・・・(笑)
マタギをその職漁師=テンカラ釣りの租としたがるならそのマタギが使っていた毛鉤は・・・?
マタギが漁を行ってはいたでしょけど本来は集団でヤスとか網での岩魚捕り、岩魚の価値が上がったのも戦後のレジャーブーム隆盛期の時が最高値、それも虹鱒の養殖が始まり、業務用冷蔵施設が各地に設置されるまでの僅かな期間
よく引き合いに出される「職漁の秋山郷」すら当初はお二方、黒部にしても長野からはお三人程・・・「ウラジロ」とか「ホト」で、釣った岩魚を焼き枯らしして里に降ろした時代
民俗学的にはマタギの生活様式を山間地の方が真似てか、教えられてが通説、マタギの方々が各地で結婚し、技術を教えその地に留まった話も有るけれどその後、飢饉でその村そのものが壊滅、江戸時代後期「北越雪譜」にその惨状が記されてもいる、不思議なのが黒部毛鉤は写真も残っているのに、通説にするくらい広範囲で使われていただろう、そのマタギの使っていた毛鉤が出て来ないのは何故?
諸国往来の免罪符が通用したのはタテの時代、その後の村田銃となれば各地域の猟師で行われていた熊猟、ライフルともなれば越境すら狩猟免許で縛られる
「釣り業界は水商売と同じ」心は「その気にさせて金を取る」・・・捕るくらいなら良いけれど盗るになってはお終い(笑)
皮肉めいた物書きですけどマタギは秋田だけでなく山形にも北海道にも記録が残るけれど、宮城は?青森は?・・・心底、そのマタギが使ったとする「職漁師毛鉤」?が出てくるのを待っています
その「職漁師」の言葉自体が不思議な造語、なぜ職と漁を重ねたのか?共に糊口を得る為の言葉なのに・・・ここではそれを踏まえて「山漁師」と共に「川漁師」を使っています
海彦・山彦の神話時代から突然、平安時代に京毛鉤が出てくるとは考えにくいしその基は有った筈、それが海外貿易の物なのか自然発生的な物なのか、京毛鉤の一番の製作上の難点は毛鉤制作より、その特徴的な金玉に有るけれど、その金玉製作も改良を経て作られた物・・・卵が先か鶏が先かの話になってしまう(笑)
文化の集積地であった京の都から京毛鉤が縫い針と共に、全国へ行商により広まり、それを基にその渓に合わせその地の毛鉤になった方が自然な気がするし、青森の方言は古の京言葉が残る様に、各地に残る落人伝説と毛鉤の伝播を合わせた方が・・・落人には共に「鬼」と言う概念が付き纏います
突然に「鬼」が出てまいりましたが、山住の民を都人から見た場合の多くが都を追われた方々を含め「鬼」とされています
先に「福は内、鬼も内」と書いたのは間違いでは無く山住の民そのものが「鬼」とされておりましたから鬼と呼ばれる我が身を含めその掛詞が残る地域も有ります、魑魅魍魎と言う化物が巣食う都よりは獣が住む「鬼」の方がと山住の民は思うのです・・・(笑)
大雪警報発令中で長々と駄文を失礼いたしました、雪掻きも一段落しましたので毛鉤でも巻いて静かにしています
この地域一帯の用水管理の役を真田のお殿様から任されその褒美として鮭漁を認められていた末裔の独り言、でもねその役だけは行政区分を越えて今も残るのだから昭和初期まで(西大滝ダムで遡上が分断されるまで)認められていたその鮭漁の権利を主張しようかなと、出来れば毛鉤とフライだけで・・・(笑)