ほんの少しだけ アングリング

今までも、既成の鈎を・・・

曲げたり延ばしたり・・・針先も(笑)

サモンフック・・・荒川の鮭釣りで使っていました(笑)

実釣用ですから細かい所はお見逃し下さい・・・(笑)

今回はもう少し簡単にパートリッジ社 CODE E6B #16 トラディショナル・ドライフライ・フック

今の目で見るとスタンダード・シャンクなのですが・・・

表示はショート・レグスでした(笑)

こちらを少しだけ・・・丸軸の良さです

手曲げ時代に戻しました・・・(笑)

軸1本分アイを下げて少しワイドゲイプ化・・・バートリート?

ほんの少しだけ・・・でも・・・(笑)

モールのボディ・・・

比べても僅かですけど意外に巻き上げたフライは・・・

トラディショナル・ドライフライはハックルにテールが有ってこそ・・・当たり前の事ですけど(笑)

先回のCS32 で思い出したのですが手曲げ時代の鈎で作ったフライは元気というか生気を感じられるのです、機械曲げのシャンクは真っ直ぐで端正ですけどフライにした時に冷たい、若い時に巻いたフライが元気に見えたのも、もしかしたらその当時の鈎で巻いていたからかなと・・・

今の鈎は「?」ですけど、昔の鈎で丸軸のシャンクが好きなのも・・・(笑)

ボディ素材は忘れられたマテリアルの一つ 「モール」

ドライフライ用の化繊マテリアルも良いのでしょうがそのファインより毛が細かい・・・

手間は掛かりますけど・・・

ナチュラルから染色物まで、240円~500円程でしたから昔は安かった(笑)

スキンを集め始めて、面白いのが大型と小型の二種類が流通していたこと、毛質は個々に違いますから比較のしようが無いのですけど・・・

調べていくうちに、特にヨーロッパ産の「モール」は日本で言われる「土竜」で無い事に気が付きました、あちらでは「ウォーター・ラット」を「モール」と言われているようです

英国のパターン帳には「モール」表記と「ウォーター・ラット」表記が有り区別していますけど、マテリアルとして日本に入って来た時には、その全てが「モール」表記で統一され、結果的に全てが「土竜」とされていたような・・・

「川鼠」を使うとされた日光毛鉤の「金胡麻」「銀胡麻」を巻く時に使ったその「川鼠」も天然物の拾い物ですから、一概に比較は出来ないのですが余り差異は・・・(笑)

昔話で恐縮ですが・・・

手巻きの毛鉤を教えて頂いたころの話

入門試験の様な事が有りまして、それが釣った岩魚を飾り塩で焼き上げた一皿

餌釣り姿も落ち着かず浮かれたように渡渉する姿を見られていましたので危ないなと感じられていたかもしれません・・・(笑)

何と無くそこに込められた真意を感じられるようにもなっておりましたから、それこそ頭の先から尾っぽの先まで余さず喰らいました

教えて頂いたのは温泉宿の御主人、戦後のレジャーブーム、スキーブームをもろに受け止めてきた方でご自身が渓流釣りを趣味にしていたせいか長逗留する釣り好きな文人の方もいらっしゃいましたし、渓流釣りブームに乗ったお客様も多かったと思い返します

数釣り、特に木っ端岩魚や木っ端山女魚の数釣りは心底、毛嫌いする方で、釣った岩魚を持ち帰る時も砂を付けるな、魚体をくっつけたら色が変わる、味が落ちると、熊笹に一匹毎に包む丁寧な方でした

持ち帰る魚も20㎝以下は腹から腐る、「皿付け」サイズの9寸に揃えろ、それを腹を裂かずに丸のままの方が持ちが良い・・・

渓流釣りブームが華やかな時は釣った岩魚の臓物が河原に捨てられていたのも普通に見受けられた時代ですから、自身は客商売でそんな釣人も客として接待しているという苦々しい思いも有ったと思います

魚籠持ちも勿論ですけど高齢な方なので渡渉する時はそれこそ杖代わり・・・(笑)

でも釣りについては竿のあしらい方から立ち居振る舞い、釣った魚に対する所作から、最後は釣人の後ろ姿にまでと・・・

この方が居たからこそ狭い範囲ですが仕事で各地を回るようになって、それが何故か中部山岳地域一帯という幸運にも恵まれ、その地の釣人からその地の釣り方や毛鉤を教えて頂けました、そこには「幻」なんて言葉自体が無くそのまま・・・不様な釣姿だったからこそでしょうけどね(笑)

テンカラ釣りが流行りとなりその各地の毛鉤も紹介され写真にも出る様になりましたから、何故かその写真の毛鉤に違和感を感じながらも、地域の毛鉤ならその地域の方がと控えておりました

全国各地の地域毛鉤も紹介されて・・・違和感が更に深まり・・・?

FF釣法のお陰で様々なマテリアルと共に様々なフライが紹介されてくるうちに、その地域の毛鉤が白いウィングを付けたりテールを付けたり・・・それが時代に合わせてとか、革新?

あたしの目には戦後の混乱期に乱造された土産物用の撚れた白いウィングとか、ねじ曲がったテールが付いただけのフライモドキに、どうしても見えてしまう

幼少期に間近で見ていた輸出用のフライは今見返しても、確りとしたレシピに則り、使う鈎も当時は最新のマスタッド針でした、それから充分な時間を経た今、何故か外観だけ?、巻き附いているだけ?・・・等、挙げ出したら切りがない程、疑問符ばかりが続きます、その後のあちらこちらに地域の毛鉤名を付けただけの毛鉤に逆さ毛鉤までもが現れて確信に変わりました、それは伝統に胡坐を搔いた商売物でしょと・・・(笑)

好きだからこそ偶に、それが過ぎますが(笑) 「有る物は有りの儘に、判断は読む方に任せる」とご指導を頂きつつ・・・所々に仕掛けると言う嫌らしさを秘めながら(笑)

先回の「間合い10m」も私個人の意見では無く出元は彼の地の御大、仏のシャルル・リッツ氏の師匠格の方のお言葉「パリからくる釣人は釣れもしないのに15m離れたがる、10mが最善」・・・渓流での間合い10mと何故か同じ思いを感じつつ・・・(笑)

若い時に巻いた毛鉤を見返すと、今の様に道具立てもマテリアルも不充分なまま巻いていたのに何故か「生きの良さ」を感じてしまうのです

今なら「枯淡の域」が見えても良いのでしょうが駄目なんです、だからこそ巻き続けているかもしれないのですけど、毛鉤もフライも良い物だと思います

やっと雪も落ち着きましたのでビニールハウスの屋根を張り出しました・・・

足場とすれば単管ですからストレッチ代わりに身体が良く伸びます・・・(笑)

暫くは毛鉤もフライもお休みです

「乾毛鉤」・・・番外編

鈎は京都から・・・菜種針の製造販売元「永原屋茂八商店」

あまご針 6号 狐型 茶焼き

蜉蝣色に黄毛蓑毛・・・菜種針の乾毛鉤(ハーフストーン風)

優れた鈎を使わないのも勿体無い・・・

羽根附き毛鉤も古来からの和毛鉤(オナシカワゲラパターンで)・・・

「テンカラ+」と宣う方が生まれる前から有る「優秀な鈎製造元」が有りながら、何故それを昔から有るとする「テンカラ毛鉤」に活用できないのだろう?

不思議な事が「テンカラ」には有り過ぎる(笑)

以下 ごまめの歯ぎしり・・・(笑) ————————–

テンカラ毛鉤は何でも良い、若しくはズボラな毛鉤で釣れるのは腕が良いから・・・?

その言葉の影に、昔の渓流釣りブームに踊る自称「渓流釣り+」の面影が重なる

渓魚を釣る矜持も無く、幼魚でも「骨煎餅」と喜ぶ、大きさと釣れた数が、己の喜びと済ますならまだましな方、魚籠を見せびらかし釣果を周りに吹聴し腕自慢

情けないのは「こんな毛鉤でも釣れる」と、更に腕自慢を重ねてくること・・・!

事も有ろうに「これがテンカラ釣り」と、「十人十色」を逃げ道に、己の毛鉤釣りを自画自賛・・・(笑)

「職漁師?毛鉤」は何もない田舎で、身近な物だけの毛鉤 = 「粗末な毛鉤」と決めつける自己解釈なり、自身が使う毛鉤に対する自己弁護・・・?

写真が残る「黒部毛鉤」でも使う蓑毛に拘り、作り方に拘る・・・他の「山漁師毛鉤」も同じは、前出済

FF釣法がドライフライを得たのも1886年フレデリック・ハルフォード氏が「フローティング・フライと其の作成法」を世に問い、更に1889年「ドライフライの釣り・理論と実践」で釣りの世界に「ドライフライ」と言う概念を持ち込む・・・マケドニアの毛鉤が2000年程前からと考えれば、ドライフライ誕生は僅か130年程前の話

「テンカラ」なんぞそれに比べたら70年前に、各地の毛鉤釣りを含めて釣り業界が総括した言葉・・・(笑)

「テンカラ毛鉤」はシンプルでファンシーと宣い、対する「西洋毛鉤」は飾りが多く、リアリスティックと宣う・・・その「西洋毛鉤」と付き合いだしてから半世紀以上になる自分にとっては不思議なお話

「テンカラ毛鉤」をファンシーと宣う事が、あたいにはファンタジーに思える・・・(笑)

「伝統毛鉤とか伝承毛鉤は手で巻かれていた」それの何が凄いのだろう?

手巻き毛鉤から始めた自分にとっては当たり前の事、その当時の定番「袖型11号」は、大きさも有るから持ち易い、「一工程毎の止め結び」は、毛鉤巻き最中の緩み防止も有るけれど、巻き上げた毛鉤の丈夫さにも通じる

「トラウトフライ」なり「フルドレス・フェザーウィング・サモンフライ」であっても英国で行われた、手持ち作成が映像で残る・・・

「マッチザハッチ」とも重なる、和毛鉤の選択法は・・・「その渓に飛ぶ蟲に合わせる」

学ぶべきはマタギが山に対する「精神性」であって、マタギをダシにする事ではと・・・(笑)

山住の爺様の諫めの言葉「山の物は山に置け、里に降ろすな」とか「釣った岩魚を喰らうなら頭の先から尻尾の先まで余さず食え」・・・尻尾の先に何があるかは、「岩魚、山を登る」を手伝い、水害続きの急峻な山岳渓流を渡渉し、魚止となった滝上流部に岩魚を放した山住の民の、岩魚に対する畏怖と敬愛

一匹毎に個性あふれた対応を見せる魚を愛でる、そんな毛鉤釣りを愉しむことが古来からの和毛鉤の釣り

純粋培養したテンカラ純血主義者を巻き込んで、また騒がしき「テンカラ釣り+」・・・(笑)

Partridge K2B Yorkshire Sedge/Caddis Hooks

1970年代には廃番となった鈎をまた持ち出してしまいました・・・(笑)

同型の鈎型はマスタッド針・TMC ・ガマカツでも出ていましたが廃番、癖のある鈎型は残りにくいのでしょうが同型の鈎型とは言えパートリッジ社だけがドライ用フック

古いタイプは鈎軸も細くアイの部分が首長・・・比べて見てですけど

レデッジスケールとは些かサイズ感が違うとタイヤー泣かせの鈎

定番の・・・

綺麗な鈎なのですがこれで結構な「じゃじゃ馬」・・・(笑)

マーチブラウン様式で・・・

旧いパターン帳にはインビクタ等のウィング附きも出てきますが、唯一のドライフライ用ですから・・・

ウィング附きドライフライパターンで・・・カワゲラパターンには最適

ボディはゴールデンフェザントのティペットで細く・・・

この鈎で巻いた別バージョンも前出済ですがどうしても癖のある鈎には逆らえず皆、同じウィング附き

癖のある鈎にはいまだに逆らえません・・・(笑)

ソフトハックルパターンは何故か「てんから毛鉤」に違和感も無く、現行品なら・・・

もう一つの「乾毛鉤」

巻針式の「乾毛鉤」なら理解も得られやすいのですけど・・・

「和毛鉤にはドライフライの様に水面に浮かぶ毛鉤は無い」が定説で、蓑毛二段巻きの「盛岡毛鉤」(クル巻き)が日本のドライフライではないかとされてもいますが・・・

瀬釣りの流し毛鉤式ですから水流で押し上げられて水面にでは、毛鉤だけで浮かぶドライフライとしては捉えにくいし無理がある

巻針式で軽量な鮎掛け針を使った「乾毛鉤」に辿り着いたのですが・・・

もう一つの「乾毛鉤」が意外にも身近に潜んでいました・・・前出済ですけど(笑)

毛鉤を手持ちで巻くのが普通の時代の話・・・(あたしも最初は教えられた通り、針素を巻き込んだ手巻き毛鉤が最初)

周りが薄暗くなった夏の夕暮れ、確りと浮いて対岸からも良く見えました・・・釣れた魚の大きさまで(笑)

職漁師をテンカラの租としたがる「テンカラ」の方々には格好の毛鉤です

使った素材は・・・

プラスチックストローを細かくしたものでは有りません・・・トンビの羽根軸です

雉の尾羽も良いけれど柔らかすぎる、山鳥は水を吸うから使えない、面倒だけれどトンビを使う・・・注釈付き(笑)

形はまるでエルクヘヤーカディス・・・

浮かぶし見えるし・・・(笑)

フライにも「ハンクオーフライ」と言う似たパターンが有ると・・・

職漁師でもない夕餉の、若しくは酒の肴にする岩魚を近所の川で釣る為に使っていた爺様の毛鉤

ブリーチした白いエルクヘヤーカディスを渡して以後・・・は前にも書きました

忘れられた毛鉤釣りの毛鉤はまだまだ埋もれていると思います、大井川最上流部で使われていた土竜の尾を針に縛り付けた毛鉤?もアメリカのTENKARA愛好家の方から調べてくれと言われて見つけられました・・・真摯な探求心には驚かされましたしそれに対して「幻」とか「マタギ」で済ますのは失礼な・・・(笑)

マタギをその職漁師=テンカラ釣りの租としたがるならそのマタギが使っていた毛鉤は・・・?

マタギが漁を行ってはいたでしょけど本来は集団でヤスとか網での岩魚捕り、岩魚の価値が上がったのも戦後のレジャーブーム隆盛期の時が最高値、それも虹鱒の養殖が始まり、業務用冷蔵施設が各地に設置されるまでの僅かな期間

よく引き合いに出される「職漁の秋山郷」すら当初はお二方、黒部にしても長野からはお三人程・・・「ウラジロ」とか「ホト」で、釣った岩魚を焼き枯らしして里に降ろした時代

民俗学的にはマタギの生活様式を山間地の方が真似てか、教えられてが通説、マタギの方々が各地で結婚し、技術を教えその地に留まった話も有るけれどその後、飢饉でその村そのものが壊滅、江戸時代後期「北越雪譜」にその惨状が記されてもいる、不思議なのが黒部毛鉤は写真も残っているのに、通説にするくらい広範囲で使われていただろう、そのマタギの使っていた毛鉤が出て来ないのは何故?

諸国往来の免罪符が通用したのはタテの時代、その後の村田銃となれば各地域の猟師で行われていた熊猟、ライフルともなれば越境すら狩猟免許で縛られる

「釣り業界は水商売と同じ」心は「その気にさせて金を取る」・・・捕るくらいなら良いけれど盗るになってはお終い(笑)

皮肉めいた物書きですけどマタギは秋田だけでなく山形にも北海道にも記録が残るけれど、宮城は?青森は?・・・心底、そのマタギが使ったとする「職漁師毛鉤」?が出てくるのを待っています

その「職漁師」の言葉自体が不思議な造語、なぜ職と漁を重ねたのか?共に糊口を得る為の言葉なのに・・・ここではそれを踏まえて「山漁師」と共に「川漁師」を使っています

海彦・山彦の神話時代から突然、平安時代に京毛鉤が出てくるとは考えにくいしその基は有った筈、それが海外貿易の物なのか自然発生的な物なのか、京毛鉤の一番の製作上の難点は毛鉤制作より、その特徴的な金玉に有るけれど、その金玉製作も改良を経て作られた物・・・卵が先か鶏が先かの話になってしまう(笑)

文化の集積地であった京の都から京毛鉤が縫い針と共に、全国へ行商により広まり、それを基にその渓に合わせその地の毛鉤になった方が自然な気がするし、青森の方言は古の京言葉が残る様に、各地に残る落人伝説と毛鉤の伝播を合わせた方が・・・落人には共に「鬼」と言う概念が付き纏います

突然に「鬼」が出てまいりましたが、山住の民を都人から見た場合の多くが都を追われた方々を含め「鬼」とされています

先に「福は内、鬼も内」と書いたのは間違いでは無く山住の民そのものが「鬼」とされておりましたから鬼と呼ばれる我が身を含めその掛詞が残る地域も有ります、魑魅魍魎と言う化物が巣食う都よりは獣が住む「鬼」の方がと山住の民は思うのです・・・(笑)

大雪警報発令中で長々と駄文を失礼いたしました、雪掻きも一段落しましたので毛鉤でも巻いて静かにしています

この地域一帯の用水管理の役を真田のお殿様から任されその褒美として鮭漁を認められていた末裔の独り言、でもねその役だけは行政区分を越えて今も残るのだから昭和初期まで(西大滝ダムで遡上が分断されるまで)認められていたその鮭漁の権利を主張しようかなと、出来れば毛鉤とフライだけで・・・(笑)

てんから「乾」毛鉤・・・

山岳渓流で、テンカラ竿3.6mにテーパーライン3.6m~4.5m、針素0.8号80㎝で上流に向けて釣り上がる渓流釣りで使っています・・・大前提として(笑)

古来からの鮎掛け針を使った「乾毛鉤」は、以前出し過ぎましたので同型の鈎型「山女魚針」で・・・

彦兵衛針「山女魚針」アゴナシ7.5号で何故か岩魚針・・・

塗装では無い「玉虫色」が良いのです・・・

ナチュラルの黒色蓑毛・・・

蓑毛の下巻きに孔雀・・・

海外に紹介された「TENKARA‐KEBARI」には、タグもリブも無いらしいですけど古式てんから毛鉤には有りました・・・一言多いから嫌われる(笑)

勝負針の鮎掛け針よりは一般的なスレ針3号・・・

和式毛鉤に初めてライトブルーダンを使ってみました・・・

染色でもライトブルーダンは綺麗です・・・

「蜂頭毛鉤」も、同じくスレ針3号で・・・

地域によって「黒毛」、「赤毛」、「油毛」を選択していたと、勿論、鈎型も・・・(笑)

こちらは「蠅頭毛鉤」を乾毛鉤化(秋田袖2号)・・・

一般的なフラットウィングの「蠅頭毛鉤」をデルタウィングにして・・・

オドリバエが頭の中を飛び回る・・・(笑)

「血丸」とか「金血丸」もとは思いましたがフライの「ハードシェル・アントパターン」を乾毛鉤にするには無理が有り過ぎて・・・(笑)

ヘラ鮒スレ針2号・・・

もはや、フライですね・・・

どれもが、今の「テンカラマスター」達が生まれるよりも前の和式毛鉤ですからね

・・・・・・・・・・・昔話

長野と新潟の境を流れる「関川」で、今風のテンカラ竿を持ち出した時は気恥ずかしかったと前にも書いたことが有りますが、顔馴染みの釣り仲間には見付からない様にそれこそ、こそこそ・・・コソコソ

5.3m~4.5m程の餌竿に、時に錘を附けての疑似餌釣りがほとんどでしたから「その長い糸を振り回して何釣るんだ(笑)」とか「絡まないようにな(笑)」とか・・・怪訝な、訝しがる顔付きで(笑)

富士流軽量テーパーラインが出た時は「天の助け」、竿も富士流に買い替えて、その竿の腰が抜ける程釣りました(笑)

その当時の毛鉤だと水面で魚を掛けるのが毛鉤の大きさも有るのでしょうが釣り辛い・・・

ニンフフィッシング用の毛鉤をドライフライフィッシングに使っている様なものですから魚の出も荒いし、釣場の状況が揃わなければ、満足も出来ない・・・使っていた鈎が、袖型11号だからとは思いませんけどね

北信辺りでまず最初にFF釣法の洗礼を受けたのが志賀高原の雑魚川でしょうか?・・・浮かぶ毛鉤が眩しかった(#10とか#12とかサイズも大きかったので良く見えました)

渓魚の採餌行動は八割方水中で等とぶつぶつ独り言を言いながら、一気にフライタイイングに嵌り込み出来損ないのドライフライをフライのテストと言い訳しながら・・・テンカラ竿で(笑)

普通なら落ち込みと流れ出し間際で2~3匹程度釣れる岩魚が、開きを合わせれば、それこそ10匹!

針素の30㎝も水に付けないフライだけ水面に置く釣り方に、フライロッドに比べたら長竿の利点で自在に流心を跨ぐ釣り方でしたからFF釣法の同行者の後を追ってもそれ以上の釣果は・・・(笑)

腕自慢でなく、ドライフライの洗礼を受けていない山岳渓流はそれこそ当時は無尽蔵でした、有名河川とは10年程のタイムラグが有るかもしれませんけど源流部ではそれこそ・・・「仕事人」

「テンカラ毛鉤」に飽き足らず使っていた毛鉤を小型化してとか、鈎を変えて当時は知られていない「乾毛鉤」を試したり・・・毛鉤を変える事で渓魚の反応がそれこそ豹変する様に驚き、その喜びが今も続いています

好みは相も変わらずアメリカンV8より、ブリティッシュ・ライトウェイトですけど

クラッシック・ミッジフライ

解禁を迎えたとはいえ天気予報は連日の雪マーク、いつにも増して山の積雪は多いですね

自然解禁は5月ですからと思いつつ、今年は長良川関連の話に包まれている状況と元々、ミッジフライが好きだった自分が・・・(笑)

ヘンネックとスカンクテール

鈎はTMC501 #22・・・スカンクテールをボディに巻いて

中空構造がドライフライに宜しいようです・・・

続いてTMC500U#22・・・スレッドを黒色

スレッドが黒色だけで雰囲気が変わります・・・

C.D.C代わりのスノーラビット・シューに赤染色ホースヘヤー・・・

定番と言えば定番フライですね・・・

目新しさは有りませんけど・・・

定番といえば定番・・・

ソフトハックル・バージョンも・・・(笑)

解禁を待つ、年中行事ですから・・・(笑)

続いてフローティング・ミッジ・ピューパ・・・ガマカツC12#22

こちらもスノーラビット・シューとホースヘヤー・・・

変わらないクラッシックパターンにTMC500U#22を添えて・・・

ガマカツS13S-M #22 

使い易い定番・・・

こちらは下地で遊びました・・・

クリスタルフラッシュ各色から・・・ホースヘヤーは変わりません(笑)

昔懐かし・・・

スノーラビット・シュー・・・

スノーラビット・シューのアンダーファー・・・

最新素材やC.D.Cも良いのでしょうが古いマテリアルも引けは取りません・・・

C.D.Cも、古くから使われてきたビンテージ・マテリアルですけど(笑)

合わせるロッドはハーディ社「ボロンフライ」にLRHに巻いたコートランド製クリヤクリークWF5 、はたまたグラスのパーフェクションでもと用意は出来ています

「釣人殺すに刃物は要らぬ、雪が三日も降ればよい」なんてことを考えながら空を見上げていると又、雪がチラチラと・・・何故か毛鉤とフライが増えてゆきます

・・・吹雪いてきました(笑)

先程のガマカツS13S-M #22に極小金玉を附けて・・・

これで魚は釣れます・・・動かし方では「鮎」でも

金玉オランダ仕掛け・・・

詳細は・・・

発展形? 蚊頭針の二段朱・・・

先程の#22とサイズが近い宇川式蚊頭針「水仙」・・・ほぼ、鮎毛鉤に近いです

遊漁の和毛鉤・・・

もっと年代の古い蚊頭針、針素が本来のテグス・・・ボロボロになっていますけど

針素がナイロン製になる前ですから1940年以前、鈎型が角形針でカエシ付ですからカエシ無しの、より鮎毛鉤に近い鉄針とも違いますので1930年代後半でしょうか・・・

1937年(1938年?)に初めてグラスファイバーを使った竿の製造技術が製造機械と共にアメリカから「オリムピック釣具」に移送され、竿製造下請け企業として国内販売をせずアメリカ向けに素材提供を行って、それが1940年以降、第二次世界大戦開始によりオリムピック製グラスファイバー竿が日本でも一般化、1941年に「東レ」が「銀鱗」を日本初ナイロンハリスとして販売する等、素材革新が華やかな年代・・・1939年の日中戦争、1941年太平洋戦争、1939年第二次世界大戦 (激動の時代)

1931年に創立者植野善雄氏が日本で初めて太鼓型リールを製作販売・・・植野製作所、後の「オリムピック釣具」

金子正勝著「毛鉤釣教壇」釣之研究社1941年3月20日発行の巻末広告では植野リール製作所

本筋から離れ出しました・・・

これでも魚は釣れます・・・

もっと魚を釣りたいから種類が多いのは当然のことですけど、色の組み合わせで釣果の違いを愉しんでみたり、もっと小型にしたり、はたまた贅の極みの「鮎毛鉤」を遠くに見たり・・・「毛鉤道楽」は堪りません

日本最古の毛鉤図に登場した「蜂頭毛鉤」、フライなら「GBレッドタグ」・・・

和式のクラッシック・ミッジフライということで、ご笑覧ください・・・(笑)

雪が降り止んだので風呂焚き用に薪を割っていたのですけど又、吹雪いてきましたので再びバイスの前

スターリングのヘッドフェザー・・・

#22に合わせてみました・・・

テールは金属質の光沢を持つ日本雉のボディフェザー・・・

ボディは何処かで使ったヒーロンハール、ピクリン酸染め?・・・

烏滸がましくも英国風・・・

あくまでも英国風ですから・・・

汎用性を持たすと・・・ボディは黒スレッドに極細シルバーティンセル

雪が降り続くと、止まりません・・・(笑)

一つの伝承毛鉤

文献に残る、和式毛鉤の変遷の概略は以前記載した
「蠅頭」1678年 京都 伊右衛門が毛鉤を販売
・・・ 巻針以前の形(鮎毛鉤、ハス毛鉤に残る形式)
「櫻針」1723年「何羨録」
・・・縫針を曲げて手製の釣針を作るのが一般に普及
「巻針」1756年 諏訪湖周辺の巻針
・・・日本で初めて鶏羽根を巻いた針と記述
「菜種鈎」1818~1829年頃 京都 永原屋茂八
・・・金玉を付けた黄毛の巻針
「漁猟手引」1834年 巻針
・・・文献に初出の毛鉤図「蜂頭」等が掲載される

文献に掲載される以前から各種の毛鉤が(フライも)使われていたでしょうが、それ以後ではないでしょう(笑)

使われる鈎も縫い針を加工しては、洋の東西も同じ事、日本でも文化が集約された京の都から日本各地に広まって独自の文化を創り出し地場産業として栄えたのは史実の通り、11年続いたとされる日本最大の内戦である応仁の乱(1467~1477)で、戦禍を遁れて技能者が各地に広まったのも、公家社会から武家社会となり結果的に太平楽が長く続いた江戸時代に釣りが庶民にも愉しまれるようになると言う皮肉な巡り合せ

今ともなれば、江戸時代に行われていた鎖国政策から鎖国と言う言葉自体が無かったとされ、実際にも大量の貿易が管理し易い様に場所限定で行われていたと、それは出島だけでなく蝦夷でも・・・それはアイヌ民族にとって、悲劇かもしれません

・・・某会長の「テンカラ」に対する曖昧模糊とし要領を得ない回答が、どうしても気になって段々と本筋から離れてまいりました・・・(笑)

伝承毛鉤でも時代による変遷は釣圧の高まりに対して当然のことながら有った訳で、それは使われていた鈎からも伺い知れます、観光開発が進み一気に水深が浅くなった河川環境に応じてかもしれません

一般的な袖型から丸セイゴが使われ釣圧の高まりに対応して小型化し、現地では「東京狐」とされた鈎が使われました・・・袖型に拘る方もいましたがそれでも使う号数は同じく小型

実際は長軸の「東京狐型」ではなく、より短軸の「軽井沢狐型」7~7,5号が使われていたのですけど・・・それも水面でなく針素に錘を附けた沈め釣りが主流

他地域の毛鉤と比べても極端に小型毛鉤でした、それでもフライサイズでは♯12以上のサイズですから今ともなれば・・・(笑)

使われた鈎も勿論ですが当初は中部山岳地域、一帯で使われていたフライで言う処の「パーマーハックル」、黒部毛鉤も同じく、三回転半以上巻くという決まり事が有りました

使った鈎はちょいと太軸のキス釣り用5号鈎ですけど・・・

秘密は使われる蓑毛に有りまして・・・日本の「バリアブルパターン」です

芯黒先黒の蓑毛が珍重されていました(単なるファーネスでは有りません)

これを更に胴体部分の蓑毛を、ハサミでとか、煙草の火でとか、ワイワイ・ガヤガヤしながら短くして、それも残した芯黒の先に元毛の色が僅かに残る様にするのが一番等という拘りまで飛び出して・・・それはそれは愉しい毛鉤談義が有りました

同じパーマーハックルの黒部毛鉤でも蓑毛を全て上側に手で扱いて(フライで言う「ハンプバック」にして)使う御仁もいらっしゃいました

各地で使われていた古い鈎を集めだしたのも鈎型が違えば、違う大きさになる以上に、同じ巻き方で巻いても鈎型が違えば別物になってしまうという、それだけでなく釣り方まで変わってしまう恐れが出て・・・(笑)

ここで使った鉤が海釣り用「青焼きキス針5号」ですから可笑しな話ですけど、セイゴ型と軽井沢狐型の長所を併せ持った毛鉤用の鈎として「このパターン」なら、今のところ最善ではと思っています・・・これより小型が有れば良いのですけど、チョット太軸がスレ針にするのに都合が良いのです

蒸気機関車で長野駅から上野駅まで、ほぼ一日掛かる時代の話ですから古いと言えば古いのですがそれでも同じ蒸気機関車で半日強、それが電化されて3時間半、今は新幹線で1時間弱、今ともなればあっという間の出来事ですから・・・(笑)

「テンカラ」がテンカラ毛鉤の祖を職漁師が使った毛鉤に求めるなら、これがその山漁師が毛鉤釣りに使った毛鉤ですけど、どうでしょう?

私にとっては毛鉤釣りに使う、名前すらない単なる「毛鉤」です、納屋の軒下に有る竹の一本竿を見ながらも、実釣ではダイワのグラス竿「琥珀4.5m」で毛鉤釣りをしていた世代ですから・・・(笑)

戯言ですけど

「テンカラは竿先に短い糸を付けてその先に付けた毛鉤をブルブル震わせる釣り方」と海外の方がテンカラを説明したり、流行り始めたテンカラを表して、「粗末なフライでリールも買えず、固定された短いラインでダッピングする貧乏人の釣り」と揶揄したFF釣法の方も・・・

なぜなら・・・

八、九割方を下流に向けた「流し釣り」で行い、それを「テンカラ」と説明し、使う毛鉤も大きいのが等と、それはウェットフライそのものの釣り方ですしFF釣法を知っている海外の方なら失笑されるのも・・・

テンカラのキャスティング説明で神業と自画自賛するトバシ糸の扱いも、10f程度の長い竹製フライロッドを知っている方なら別段、目新しい物でも無く至極当然、当たり前のライン捌きですから、却って「テンカラ」はロッドとラインのバランスが悪いと言われてしまうのも・・・

竿長より遥かに長いトバシ糸の長さを自慢しても魚の取り込みの最後は「綱引き」、リールも買えない貧乏人の釣りと揶揄されても仕方が無いかもしれません・・・(笑)

「テンカラ」が世界の「TENKARA」になったと自慢しても本来の山漁師が行った「毛鉤釣り」を海外の方が知れば知る程、可笑しなことになって参ります

てんから毛鉤

ウルトラとかマイクロとかミッジ?ナット?が続きましたので山漁師の毛鉤でも・・・

高度成長期は田舎にとって、各地域の世代間の釣り文化の断絶を生んだ一因にもなったのですが、田舎から都会へと同様に、田舎から田舎への出稼ぎは、地方のインフラ整備で盛んだった訳で・・・

使う使わないは釣人の好みですが・・・この周辺でも知られていた毛鉤パターン

この地は山岳渓流ばかりで釣物とすれば岩魚でしたから1959年に「右田の逆さ毛鉤」で初めて紹介された「川漁師の逆さ毛鉤」の人気は全国と同様、余り・・・

後年、その「逆さ毛鉤」が古来から使われていたと、全国各地に現われたのは、只々呆れるしかありませんでしたけど・・・(笑)

定番の「荒巻毛鉤」・・・

岩魚が摺れると・・・蓑毛を切って(ハサミでとか煙草の火でとか)

蓑毛の「詰め巻き毛鉤」・・・蓑毛を詰め巻きにして整形

何となくフライの影響を感じますけどね・・・(笑)

判り辛いので・・・

安曇野からは「段毛鉤」・・・

有明からは「黒部毛鉤」・・・

梓川からは「飛騨毛鉤」・・・

定番・・・黒胴雉蓑毛

古風な「羽根附き毛鉤」・・・

別角度から・・・

温泉に長逗留していた文人から「ゼンマイ毛鉤」とか「剣羽根毛鉤」・・・

別角度から・・・

「剣羽根毛鉤」・・・

下越から・・・

ダム工事が盛んだった中部山岳地域は毛鉤の坩堝かもしれません・・・(笑)

そこに元々使われていた毛鉤が有るのですから・・・

橋脚工事、地方道整備、ダム整備等、大規模整備事業が行われる中、出稼ぎにきた秋田の衆から伝わった「遠刈田毛鉤」が妙高にも有り、別ルートでも戸別訪問型の行商人によって各地域の情報伝達が行われておりましたから、テンカラ毛鉤を釣雑誌等が取り上げる度に説く「門外不出」とか「一子相伝」等々に違和感すら感じ、実際に各地の釣具屋や萬屋さん等でその地域の毛鉤が販売されていましたので、商売上、「幻」にしておいた方が何かと都合が良かったのではと、邪推してしまいます・・・

農文協出版社の御陰で各毛鉤の名前と出生は判りましたけど釣雑誌ではなかった

各地で行われていた「毛鉤釣り」を総括して「テンカラ」としたのは釣雑誌の編集の方向づけからだし、その「テンカラ」の語源すら・・・(昔の話でうろ覚えなんですけど確か釣雑誌の初代編集長さんが談話で・・・)

「毛鉤釣り」を「テンカラ」としたその時期に巻き起こった喧喧囂囂の話は、まだ70年程前の話だと思い返すのですけど・・・(笑)

チョット前には確か「カモネギ話」も有りましたしね・・・

毛鉤釣りは洋の東西を問わず日本で言う「フットバシ釣り」が基になりそれを羽毛や獣毛で疑似餌として創り出したもの・・・

古い英国釣文学でも従者にカゲロウを獲らせて釣りの準備が出来たとか、今、飛んでいる小さなカゲロウを結べる針が有ればとか・・・(笑)

魚を釣るだけなら靴下の補修用糸を巻き付けただけでも、その釣人にセンスが有れば釣れる、毛鉤を如何に美しく結ぶかは釣人の愉しみであり、釣りと釣魚に対する釣り人の気持ち

古来から使われていた「てんから」の引掛け釣りが、毛鉤釣りの「テンカラ」になったかは命名者である山本素石氏の才覚の現われ

関西方面で「撥蛇」と呼ばれていた蛇に「ツチノコ」と名付けて全国区にしたのはその山本素石氏・・・(笑)

「フットバシ釣り」・・・羽虫、蜘蛛、バッタ等を鉤に刺し、錘を付けずに水面を流す釣り

TMC200R #22

TMC518#32で目が慣れてきましたから昔のパターンで・・・(笑)

このサイズも終売?・・・皮一枚、なんて事は慣れっこでした

今見てみるとアイが意外にも大きいサイズ

テールはブラウンパートリッジを数本・・・

ヒラを打たせたくて軸と平行にレッドワイヤー・・・

スレッドを褐色に・・・

レッグもブラウンパートリッジ・・・

ウィングケースを巻き止めて・・・

レッグを折り返しながらウィップフィニッシュ・・・

マイクロ・ニンフ「キンパク」パターン・・・(笑)

シルエット重視ですから巻き上がった後、ウィングケースとアブドメンをピンセットで挟んで平に調整

その当時、ドライもニンフもファジーなタイプは・・・(笑)